37回目の結婚記念日
昭和56年5月3日・21歳で結婚
本日で、37年です。
過ぎてみれば、あっという間だったけど、
振り返れば、すごい年月だよね!
昭和の昔だから、結婚式を挙げた日が、
結婚記念日となっています。
いろんなネタがたくさんで、
小説が書けそうなくらいの人生です。
波瀾万丈を、自分で波乱爆笑に書き替えた。
そんな人生だったかな!
なかなかどうして、内容の濃い、
いろんな事を体験させて貰いました。
農家の末っ子長男の嫁になり、
一姫二太郎(3人)を授かって、
働きながらの子育てを、
家族に助けて貰いました。
結婚8年目に旦那さんが、脱サラで起業し、
『黙って俺に付いて来い。』
『食べるのには困らせないから。』
『口答えするな!
俺が、カラスは白いと言ったら白いんだ』
さだまさしの、関白宣言を地でゆく生活。
でも、
どこか大船に乗ってる気持ちでいられた。
毎日は刺激がいっぱいで愉しかった。
大家族の中、いろいろ思いはあったけど、
ここで生きると決めて来たのだから、
戻る道はなし。
よくまぁ、我慢してきたもんだ。
正直自分でも感心するよ。
人はいつか気付くものだ!
分からなければ、それまでのこと。
いろんな台詞は頭に浮かんできたけど、
心の中に呑み込んできた。
人体実験じゃないけど、
人は我慢も許容範囲を超えちゃうと、
正直なからだに、病気となって、
赤信号が点滅するんだと知らされた。
そして、人はそこで学習する。
子ども達に、
ヒステリックに怒る、自分に嫌気がさして、
花を育てようと思った。
花は、口答えしないから、
こちらも、優しく話しかけられる。
綺麗に咲いてくれてありがとう。
優しい母さんで、いさせてくれた。
母を越えて、大人になった子ども達よ、
自分のことは棚に上げ、
母親面して、説教したり、怒ったり、
あの時は、ごめんよ!
ひとりひとりの子育ては、1回戦きり。
だから、何人育てたからって、
ベテランではなくて、頼りないくせして、
子供には、親の権限とばかり、
だから、やりきれない気持ちもあるよ。
あ~すれば良かった、
こうすればよかった、
後悔先に立たずだわ!
生きていくパワーが、
なくなって来たんじゃなくて、
もう自分が頑張らなくていいんだ!って、
肩の力が抜けてきたんだよ。
みんな頑張れ~!
苦労の先には、かならず、
良いこといっぱいあるからねぇ~!
旦那さんに告ぐ!
なんて、大袈裟だね。
若い頃は、どんな球でもキャッチできたけど、
面倒なことは、私に期待しないでね。
所詮、これまでの器量しかない私だから、
いくら、古女房といえども、
何を言われても、へっちゃらよ!
多少の我が儘は、受け止めるよ!
が、今となってはもう無理。
確実に許容範囲がせまくなってる。
だからお願い、真っ直ぐなストレートで、
投げてください。
暴投や、変化球は、受けれませんので。
たぶん、旦那さんは、
このブログは、読まないと思うけど、
言霊は、伝わると信じています。
37年間、傍に置いて頂いて、
ありがとうございました。
結婚してから、
『嫁呼び』という、
親戚のお宅に招かれて、
お祝いして頂く儀式がありました。
5月の半ばでしたが、
母に絽の着物を着せて貰いました。
いま、この姿のふたりはおりませんので、
昭和っぽい感じですね。
懐かしい写真投稿しました。(^^;)
あしからず。
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